岩倉街道沿道にあった中小田井は、岩倉方面から枇杷島の青果市場へ野菜類を運ぶ農民たちのために、飲食店や生活用品を扱う商家が建ち並んだ。宿場町とは異なり、ローカルな、土くさい、こじんまりとした町並みだった。現在の建物は、主に明治24年(1891)の濃尾地震以降のものだが、平入・中二階・連子格子の民家や土蔵を中心とした町並みは、伝統的景観をよく残している。